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存在確率と時系列データの構築

  • 北日本の縄文時代墓制
  • 基盤研究C_16K03168

 この研究ではデータを可視化するために新たな試みに挑戦しています。そのために導入するのが存在確率和という概念です。発掘調査で発見された土坑墓跡の時期は、一般的には一緒に出土した土器から「□□式」の時期と推定されます。その土器型式は数十年から数百年の時間幅を持っているため、墓が営まれたのは「その時間幅でのどこか」であるとしか推定できません。つまり、考古学の資料の存在時期は宿命的に確率論的な性質を有するのです。

 そこで、縄文時代早期から晩期までの約11000~2500年前を100年幅の時間ブロック(Tブロック)に分割し、そこに土坑墓を確率で割り振るという方法で存在した時期を表現するという方法を採用します。

 例えば、土坑墓aが土器型式Aで放射性炭素年代測定法による測定値を補正した暦年代が3150~2850年前(Cal BP)と推定されるとしましょう。その場合は、各時間ブロックにおける存在確率は下記の計算式で求めることができます。

土器型式Aの時間幅(Δτ)=300 (3150-2850 cal BP) と仮定した場合

1年間確率 P [ti]= 1/Δτ =1/300=0.003

Tブロックt1(3200-3100 calBP) P [t1]= P [ti] ・50=0.167

Tブロックt2(3100-3000 calBP) P [t2]= P [ti] ・100=0.333 

Tブロックt3(3000-2900 calBP)とTブロックt4(2900-2800 calBP)もt2と同じです。

 そして、Tブロックごとに各土坑墓の存在確率の合計(存在確率和)を算出します。存在確率和は、確率を均等配分した場合の存在予測数ともいえるので、墓数の目安の一つになります。それをもとに100年幅で土坑墓数の変動を推定することができます。また、一般的に言って、墓が増えるということはそれだけ生きている人も増えていた可能性があります。つまり、人口変動を考える参考情報にもなるのです。

 これらの棒グラフをみると、土坑墓数の変動パターンには地域差があることがわかります。2つのパターンに大別できるでしょう。1つめは、晩期中葉(大洞C1・C2)に向けて増加あるいは維持するパターンです。後志・胆振・石狩、津軽・青森、八郎潟・秋田の地域が該当します。2つめは晩期中葉に向け減少するパターンで、秋田県の米代・森吉地域です。八戸・二戸は円形の土坑墓が多く副葬品が少ないため認定がむつかしく、そのため墓の数が少なくなっています。そのため判断がしづらいですが、おおむね維持とみてよいように思います。

 この方法は、犯罪発生の時系列分析におけるaoristic sum(アオリスティック・サム)の手法を援用したものです。これにより、墓制の変化や人口変動を等間隔の暦年代スケールに配置することが可能になり、変化の速度や程度をより的確に把握することができるようになります。同じく暦年代で提供される環境史・災害史データとの比較がより容易になるでしょう。また、計量経済学や生態学などで使われる時系列分析の手法が考古学にも応用できるようになるでしょう。